明日はきっといい日になる。

辛く悲しい出来事も、何かの意味がきっとある筈。前向きに、ゆっくり、一歩一歩、歩んで行こう。

冬がすぐそこに


こんにちは


お久しぶりです🐱🌼


気づけばここが、唯一私が


父の死について心を整理出来る場所になってました。


ここに現れる時、私の心は苦しい時です。


最近、「ああ、それよく分かる」と


思ったことがあって、


それは平井堅の「ノンフィクション」の歌詞の中に


「惰性で見てたテレビ消すみたいに

生きることを時々やめたくなる」


っていう歌詞があるんですけど、


これ、とても共感出来るんです。


なんか、「やーめた」って人生終えたくなるんですよね。


身近な人の死を経験すると


死がとても身近になって


それも悪いことじゃないんじゃないかなって。


もちろん、父は死を望む筈がないと思っていますが


なんか、あるんですよね、おしまいにしたい時が。


身の回りの人に言ったって


自殺で遺される経験をしてる訳じゃないから


きっとこんな気持ち分からないと思うし


他の誰かなら、尚更分からないと思う。


自分で「死」を選び、


いつもいて当たり前の人が、


突然消える恐怖や悲しみは、


二度と忘れられないし


乗り越えるっていう事はないと思う。


他の死とは、少し違った苦しみがある事を


誰かに分かって欲しいです。

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