明日はきっといい日になる。

辛く悲しい出来事も、何かの意味がきっとある筈。前向きに、ゆっくり、一歩一歩、歩んで行こう。

寒くなって来ましたね。

こんにちは。お久しぶりです。

更新が途絶えてしまい、すみません。

仕事に、プライベートに毎日を忙しく過ごしています。皆さんお元気ですか。


あれから2年が過ぎました。

心の傷が癒えたという訳では無いのですが、出来るだけ考えないようにしているので、父の事を思い出す時間が日に日に少なくなっている様に感じます。酷い娘ですよね…

ただ、今もあの時と同じ家に住んでいるので、空っぽになった父の部屋を見る度に心がザワザワと、ギューッと苦しくなります。父の死をもって今の生活があるにも関わらず、のうのうと生きている自分に罪悪感も感じています。どうして父は死ぬ程苦しんだのに、きっと涙も流したのに、自分は前と同じ様に毎日普通に生活しているのか…


幸せそうな家族を見た時、職場の仲間が家族の話をしている時、そんな時に父の事を思い出すと、後悔や形容し難い感情で押しつぶされそうになるので、なるべくぼーっとしない様に、一人で居る時はYouTubeを見漁ったり、Twitterを眺めたり、何か違う事をする様にしているのですが、この胸の痛みはいつまで経っても消えないでしょう。


昨日部屋の掃除をしていると、父が最期の手紙と共に遺した「メッセージ」を見つけました。

それは、「本当の女子力とは?」など、私が今後生きていく上でヒントになる様な、ネットの記事や、本の引用などが何枚か纏められているものです。

何度も何度も、死にたかったし、後悔ばかりの今の人生をリセットしたくて、「死」というものが切り離せないでいるのですが、最近は、「いつでも死んでいい」と思うようにしていて、何故なら、死んでいいと思えると「じゃあ死ぬ前にこれはやろう、あれはやっておこう」と自然と一歩一歩前に進めるからです。気持ちもとても楽に感じます。いつか本当に死ぬ日がもしかしたら来るかもしれないし、来ないかもしれないけど、今自分にはそういう考え方でしか生きる事が出来ないので。


最近一段と寒くなったので冬が近くに居るのを感じますね。

身体に気をつけて、お過ごし下さい。

久しぶりの更新

久しぶりの更新です。

本当に最近は寒い日が続きますね…

インフルエンザにもまだまだ流行ってるらしいです…

唐突ですが、そういえば今日も夢に父が出てきました。週に1回くらいは夢に現れるんです。

その殆どが、生き返る夢。

心のどこかでまだ、現実として受け止められてない自分が居るのだと思います。

私はこういった形で父を亡くして、今までは普通に生きてたらおじいちゃんおばあちゃんになれると思っていたのですが、それが本当に特別で素敵な事なのだと痛感しました。


また、あれから1年4ヶ月…

私自身、あの出来事をきっかけに強くなれた様な気がします。

以前からやってみたいと思っていた仕事のスタッフ募集…去年の1月飛び込みで面接を受けて採用を貰ってから1年経ちました。

今もし父が生きていたら、1年も続いて無かっただろうな…頑張ろう、という気持ちにさせてくれました。


どんなに辛い事、嫌な事があっても、あの日以上の事は起きないし、あの日以上の悲しみは無い。もう怖いものなんてない。

父から貰った私の残りの人生、幸せになる事が1番の親孝行だと思っています。というよりそれしかもう出来る孝行がないので。

絶対に、幸せになりたいし、ならなければいけないと思う今日この頃…です。


出勤の電車の中で書いたので、文がまとまってないですが、読んで頂いてありがとうございます。


誰一人として同じ境遇に置かれない事を祈って。

気持ちの良い秋晴れ。

こんにちは。

私が居る場所は、今日とても気持ち良く晴れています。皆さんの居る場所はどんなお天気ですか。


太陽ってそこにあるだけで、多くの人を幸せな気持ちに出来るから凄く羨ましい。


お父さんが旅立ったあの日もこんな風にとても気持ち良く晴れていたな(前回記事に写真有り)。少しは晴れた気持ち、感じたのかな。青空を見て何を思ったのかな。


前回少し話に出したお手紙(という名の遺書だけど)は、あれからずっと机の引き出しにしまったままでいます。

辛いんです。

お手紙を見ると、「あぁ、本当にもう居ないんだ」と実感する事になってとても辛いんです。


今手元に無いので、内容を思い出しながら、少しお話させて下さい。


私は大学を中退しました。

理由は、甘ったれた理由で本当に父には申し訳無かったのですが、「ついていけなかった」からです。あの頃私は毎日がとても辛くて、授業中に混乱して涙を流した事もありました。外国語を学ぶ学部だったのですが、人が言っていることが分からないってこんなに辛いんだなと思いました。クラスに居場所を無くし、大学へ行けなくなりました。


私はそれを父へ一言も話して居らず、勝手に辞める形になってしまいました。

中退の件について、一言も何も言われていません。

私は「絶対呆れてるんだ…」そう思い、申し訳なくて、父と一緒の空間に居るだけで、居心地悪く、避けるようになった一つの原因でした。


しかし、あの日のお手紙には…

「今、友達が内定を貰ったり、就職をしたり、とても焦っていると思う。けれど、今アルバイトで(飲食店でアルバイトをしている)、お客様に喜んで頂ける喜び、接客の楽しさを学ぶのもいいと思うよ。本当にやりたい事をもう一度考えて、一歩一歩歩んで行ってください。」というような内容が書いてありました。

「お父さんは仕事で、こういう時にやりがいを感じたよ。」など、私が今行き詰まっているのを知っていたのだなと、頬を濡らしてしまいました。


父は、間違いなく私のお父さんでした。


もっと早く気づいて、色んな事を聞いておけば良かった、頼れば良かった、と思っても、もう遅いけれど。


親子の縁は、死してもなおも、繋がり続けると信じて、いつか再会を果たした時、「ごめんなさい。ありがとう。」そう伝えたいと思います。