明日はきっといい日になる。

辛く悲しい出来事も、何かの意味がきっとある筈。前向きに、ゆっくり、一歩一歩、歩んで行こう。

あの日から、32日。

昨日の記事は、実はつい最近の事なんです。

10月の上旬。もう1ヶ月経っている事が信じられません。

今日父が夢に出て来ました。青ざめた顔、あの警察署で見た父でした。普通に立っていて、「お父さん?!」って呼びかけると「うん…」と返事をしてくれました。私は父に謝りたくて「ごめんね!」と叫びたかったのですが、声が出なくて、父はそのまま消えてしまいました。


今でも頭の中が混乱していて、考えたく無いというか、現実を見たくないというか、兎に角自分に起きたまるでドラマの様な出来事が、理解出来ないのです。出来ないというより、したくない…かな。話すととっても長くなるので、少しずつお話させて下さい。


私は父を殺したと思っています。


私達は父、母、妹の4人家族です。

私が小学生の時に、家族4人で夢のマイホームへ引越しました。小学生の頃、週末の朝は皆でご飯を食べて、夜には焼肉をしたり、とても楽しかった思い出があります。

しかし、近頃、父は本当に本当に独りぼっちでした。ごめんね、お父さん。


私は母が教育熱心だった事もあって、中学生の時には塾へ通い、県立高校へ行き、高校卒業後は夢を応援してくれて、予備校へ通わせて貰いました。家計の事など何も知らずに。ごめんなさい。


父と母は、私達が幼い頃から仲が良いとは言えませんでした。些細な事でも良く喧嘩をしていました。父が母に手を出す所も見たことがあります。母とは女同士なので仲が良く、いつしか私は父を、母を虐める敵の様に感じるようになっていました。ここ数年の私の誕生日、父は何も言いませんでした。お友達の誕生日、家族皆から祝ってもらえる事がとても羨ましかったのを覚えています。

日頃から、私達娘と目も合わせ無いし、父とした会話はあまり思い出せません。強いて言うならば、父が旅立つ数日前に、「部屋に掃除機ある?」と私に声を掛け、私がドア越しに「ない」と返事をしたくらいでした。

私はずっと、「お父さんは、子供が邪魔なんだ、嫌いなんだ」と思っていました。ずっと嫌われていると思っていました。いつしか父に嫌悪感を抱くようになり、父を避けるように生活していました。寂しかったよね、ごめんね。


先月、父から貰ったお手紙(遺書という名の)。

家族全員に1通ずつ宛てられたそのお手紙には、気づくのが遅すぎた、父の愛が詰まっていました。もっと早く気づきたかったよ。



(写真は父が行方不明になった日、近くの自衛隊で行われていた航空祭で空に星型が浮かび上がった様子です。)

時の流れのはやさ。

今日、初めてブログを投稿します。

もうすぐ誕生日を迎えますが、現在21才のフリーターです。大学は中退。どこにも吐く事の出来ない心の内を吐き出す場所を探し、ここに至りました。拙い文章ですが、御容赦下さい。


ある日曜日、父は朝早くから出掛けており、夜10時を回っても帰って来ませんでした。気になった母は、父の部屋へ入ると、いつも座っていたパソコンの所に白い封筒の様な物が置いてありました。母は動転し、バイトへ行っていた私に電話を掛けて来て、私もすぐに帰宅し、その後一縷の望みを掛けて警察へ捜索願を出しました。何時間経っても父は帰って来ず、翌早朝、警察署から「お話しなければならない事がある」と電話を受け、私は母と警察署へ行きました。

案内された部屋。父でした。そこに寝ていたのは父でした。

ピクリとも動かない。

首に紫の痣が出来ていて、顔色は処々ピンクっぽくなっていたり、斑で、最後に見た父とはとても様子が違いました。

私には分かりませんでした。「死」というものが分かりませんでした。とにかく混乱しました。


少しずつ、少しずつ、その時の様子などを書いて、冷静に父の死を受け止めていきたいです。